“ボケりんご”の話

人事×キャリコン

 

さわ
さわ

 

こんにちは!

自分の気持ちが喜ぶことを見つけて生きていく!

週末キャリアコンサルタントの“さわ”です。

 

今日のテーマである「ボケりんご」って知って皆さんご存じですか?

 

 

さわの家の話

「ボケりんご」…知ってるあなたは長野県民ですね!(信州人と言った方がいいのかな?)

 

いきなり何を書きだすんだ…!って感じですが、この「ボケりんご」についてはキャリア支援の場面でたまにお話ししているネタです。

 

信州生まれ信州育ちの夫曰く長野県の方は食べ時をのがしたりんごのことを「ボケりんご」というそうで、シャキシャキの歯ごたえがないりんごのことを指すそうです。

 

今では食卓にりんごが並ぶと「あ!このりんごボケてない!おいしいよ!」「しばらく時間経っちゃったからボケちゃったね」なんて会話が我が家のお決まりなのですが、結婚当初、「ボケりんご」と言われて「なんやそれ」と思った私。

 

わたしは九州出身でりんごの産地より遠く、冬はりんごよりみかんでしょ的な地域だったのでりんごはそんなにこだわりはなく、季節になるとちょっと食べるかなーくらいの位置づけ。

 

結婚当初、夫に「このりんごボケてる」と言われて食べたりんご、わたしにとって「ふつう」むしろ「好きな歯ごたえ」で、「ボケりんご」はわたしにとって「普通のりんご」だったんです。そのことを話すと「ボケりんご好きな人初めて会った」と夫。

 

子どもたちがりんごを食べるようになってからは夫が「ボケりんご」の選別をするので、子どもたちもりんごの食感には敏感です。一方、わたしはボケりんごを何も気にせず食べられるので「ママ!このりんごボケてるからあと食べてよ!」とボケりんご係となることもしばしば…。

 

人それぞれ見ている世界が違う

ぐだぐだとさわの家の話ですみません。

 

何が言いたいのかというと「人それぞれ見ている世界が違う」ということ。

 

夫にとってボケりんごは「好みではない食感」で、あまりいいものではないらしい。

わたしにとってボケりんごは「ふつうのりんご」で、気にならずに食べることができるもの。

 

食感の落ちたりんごを「ボケりんご」とした場合、これは「事実」です。

 

その食感の落ちたボケりんごに対して「好きじゃない」「ふつう」「わりといける」というレッテルを貼るのは個人の主観です。

 

世の中でよく言われることですが、事実は一つでも様々な解釈、つまり「ものの見方」が個人によって違うんですね。

 

相互理解のために

日常生活も同じです。

同じ事実を見ても人によって解釈が異なることが普通でしょう。

 

なぜこのボケりんごの話をキャリア支援の場で話すのかというと、その違いを受け入れていくことが人間としての成長に欠かせないと思うからです。

 

自分のものの見方に強いこだわりがあるとそれができず、自分の可能性を押し込んでしまう方もいらっしゃいます。

また、自分の強いこだわりが反映されたものの見方を他者に強要しようとするとハラスメントの問題に発展する可能性があります。

 

キャリア支援の場を「自分の気持ちが喜ぶことを見つけて生きていく」ための場とした場合、自分のものの見方を理解するための支援はとても大事です(自己理解の支援ですね)。

 

同様に自分を取り巻く環境を理解するには、他者がどのように世界を見ているのか、つまり理解したい相手がどのようなものの見方をしているのかを理解しようとする勇気が必要です。(あくまで「しようとすること」が大事です。他者は自分ではないので100%の理解は難しいでしょう。)

 

そういった支援の場では事実に対する解釈の多様性、つまり、自分にとっての「りんご」はどのようなものか、他者は「りんご」をどのように見ているのかについて考えるきっかけにしてもらうために我が家のボケりんごの話をしています。

(ちなみに長野県と並ぶりんごの産地・青森県出身の友人に聞いたところ、青森には「ボケりんご」は存在しないそうです。)